俺のオヤジ(↑)はコテコテの大阪弁を喋る。
「ほんまでっか」とか「ぼちぼちでんな」とか言う。
船場の商人ということは大きいだろう。
しかし世代的なものもあると思う。
俺はコテコテではない。
大学からの京都生活も長くなっている。
「そうです」が頭高でなく平板になったり。
しかし世代的なものもあると思う。
大阪に限らず、我々の世代辺りから、滅菌処理的な教育が施されて来た。
年長者には敬語を、知らない人と話してはいけません、教師は聖職、体罰は厳禁。
核家族化、マンションの乱立、地域コミュニティの衰退、治安の悪化、モラルの低下等、様々に絡み合って、消毒は苛烈に苛烈になった。
それは、大阪の、大阪弁のメンタリティを侵害した。
ものを値切る時は「オッチャン、もうちょっと安してえなあ」であって、「店員さん、もう少し安くして頂けませんか」では頂けない。
甲子園では知らんオッチャンに焼鳥を貰い、知らんオバチャンと手を取り合って、
六甲颪を歌うのである。
ガールフレンドを連れて行くと、オッサンの抱擁が妙に長いのは許せんのだが。
俺はラテン系の国に行くと、とても居心地が良い。
人と人との距離が圧倒的に近く、過慮の和製シェルターは霧散し、結果自分自身にも正直になれるからだ。
そしてそのことは、自己と向き合わねばならぬ絵にも決定的に好影響である。
半ば削れてしまった俺の中の大阪人の意気、やはり大切にしたいと思う。
大阪で生まれた男やさかい、阪神ファンとして、画家として。
大阪で生まれた女/BORO
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