家庭において母は編物をする
息子は戦争をする
それは全く当然のことと思う 母は
そして父は 何をする 父は
彼は事業をする
妻は編物をする
息子は戦争
自分は事業
それは全く当然のことと思う 父は
そして息子は 息子は
何と思う 息子は
全く何も思わない 息子は
息子 母は編物をする 父は事業 自分は戦争
戦争が終わったなら
彼は父と事業をするだろう
戦争は続く 母は続く 編物をする
父は続く 事業をする
息子は戦死する 彼はもう続かない
父と母は墓地に行く
それは全く当然のことと思う 父と母は
生活は続く 編物のある生活 戦争 事業
事業 戦争 編物 戦争
事業 事業 そして事業
墓地のある生活。
シャンソン『枯葉』の作詞者として知られる
ジャック・プレヴェールは、人間の内面を言葉尽くして表すのでなく、外形や周囲の情景の描写から却ってその中身を炙り出す、上の様な詩を沢山残した。「映画的な詩」と評される所以である。(
『天井桟敷の人々』等、映画の脚本も多数手掛けた。)「言葉の魔術師」とも呼ばれるプレヴェールだが、寧ろ説明的な言葉の力を疑っていた様に思う。言葉は語られる対象そのもので到底無く、質の悪い比喩に過ぎない。ならばその粗末な例えをそのままは使わず、セットを組んで一つ芝居を打とうじゃないか、そんな風にしてかのアプローチを取ったのでないだろうか。
斯様な彼の姿勢に共感を覚える画家の私も、説明的な描写は極力排し、対象から汲み取ったイメージを代弁するタッチの集積によって、棒読みの写実を超えるリアルを求めたいと思っている。
メッセージ 誰かが開けた扉
誰かが閉めた扉
誰かが座った椅子
誰かが撫でた猫
誰かが齧った果物
誰かが読んだ手紙
誰かが倒した椅子
誰かが開けた扉
誰かが走り続ける道
誰かが通り抜ける森
誰かが身を投げる川
誰かが死んだ病院。
出典 Jacques Prévert,
Parole,Gallimard,collection folio,1972.
『枯葉』 Yves Montand
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