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心中の或るヴィジョンをキャンバス上に引っ張り出そうと、或る画材を手にして描き倒す。
或る時遂に、ヴィジョンが絵具のか黒鉛のか白墨のか何某かの衣を纏い、可視のものとなって画面に立ち現れる。
やった!方法論を確立した!
そうなるともう早くそこから離れねば!
後はルーティーンになって惰性になって、当初創造そのものであった同じ行為が、今度は創造性を食い潰す。
何たるパラドックス!何という切なさ!
それでも自分で書いた教科書を読み返すより、新しいページを書き出したい。
しんどくとも、また一から始めよう。次なるヴィジョンと向き合い、まっさらなパレットを握り締めて。

絵を描く行為は、永遠の積木崩しだ。
しかしカミュは言った。『頂上を目掛ける闘争ただそれだけで、人間の心を満たすのに充分足りるのだ。今や、シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ。』
俺も英雄的に石を積み上げるぞ!
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ドラマーがsakuraだった頃のラルクは美しい。tetsuやkenの作るキャッチーで疾走感ある曲に、彼の軽快なドラミングはぴったりだった。yukihiroが加入し、荒々しさとアングラな臭いが加わって、バンドの幅は広がった。一方、それまでの丁寧で軽やかな肌合いは薄れ、時に雑な印象も受ける。

リッチー・コッツェンが入った渋いMR.BIGも良いが、ポール・ギルバート在籍時のポップなセンス溢れる楽曲が恋しい。エリック・マーティンもブルースやソウルに寄っており、方向性の近いリッチーとの組み合わせでは色彩がやや単調になった。ポールが居て起こった化学反応は、バンドにこの上ない煌びやかさをもたらした。

画家は一人しこしこ描いている印象かもしれないが、絵もまたモチーフと画家の化学反応だ。例えば人体クロッキーなら、モデルが誰か、どんなポーズを取るか、初めて描く人か、よく知った人か、どんな人か、その日その瞬間のモデルの感情、その日その瞬間の僕の感情、そこで何がシンクロするかしないか、そういったことは自然に絵に表れる。風景の持つ色、形、歴史が決定するイメージ、季節・時間・天候によっても移ろうだろう。蕾、開いた花、萎れた花、枯れた花、その日その時の僕とどう響き合うか。孤独な自画像は化学反応と言わないかもしれないが、心身の状態によって色も形も左右され、却って描く度違った顔が出来上がる。

今日の絵は今日しか描けないし、昨日の作品は昨日だけのもの、明日は明日の画面が浮かび上がろう。画家が日々描く絵は、文字通り日記なのである。

MR.BIG-Take Cover





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