フーターズに行った翌日、再び赤坂見附を訪れた。
連日スザンヌちゃんに会いに行ったわけでなく、ニューオータニ美術館で
ベルナール・ビュフェの展覧会が催されていたからだ。

奥の展示室で『仔牛の頭』と題されたフィルムが流れる。
ビュフェが正に仔牛の頭を中心とした静物画を成す様を、
エティエンヌ・ペリエが撮ったものだ。
ビュフェは木炭だろうか、黒々とした線をキャンバスに引いて牛の頭を形作り、一旦はたいて、消え残りの上に新たな頭を描く。
白をナイフでどんどん乗っけて行く。
色を筆で殴るように置いて行く。
勢いは損なわれない。
更に濃い色を白を、筆でナイフで重ね、混ぜ合わせ、かすらせる。
終始音楽的と言って良いリズムを持って。
大まかな言い方だが、イラストやデザインの多くは完成度を求められる。
例えば丁寧に引いた輪郭線があって、そこに色が綺麗に収まるか、斑無く塗られるか、食み出たりしたら失敗だ。
画家においては逆で、如何に完成度に目を背けられるか、如何に自分から出たものを肯定出来るかだ。
先発の輪郭に後の色が収まるか否かが問題ではない。
食み出ようが食み出まいが、それが生きたものかどうか。
食み出たなら、それが食み出るべくして食み出たか。
食み出していながら、先の輪郭と呼応しているか。
自分から出る線、形、色を肯定出来るか。
全てが確かに自分の痕跡か。
線が、形が、色が、自分か。
イラストやデザインの多くは絵そのものを見る。
しかし、画家の絵は絵を見るのではない。
その向こう側の、画家が何を思いどう筆を振るったかを、透かし見るのだ。
ビュフェ『百合』/『赤い蝶』/『アナベル夫人』/『ロワール地方・シャンボール城』/『ヴェネツィア・サンマルコ小広場』




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