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恩師の三谷祐幸さんが言った。
「山本君、絵はバイオリンみたいなものですよ。」

バイオリンは、左手で音符の位置を決定し、その選択の連続が旋律を紡ぐ。
一方、右手は実際に音色を発生させる。
歌手における発声だ。
初心者の右手に握られた弓は鋸に堕し、卓越した演奏家のそれは、一秒動くだけでそうと分かる、心地好い音を響かせる。

具象画は二元性を有する。
例えばチューブから絞られたままの絵具、油でお汁状に溶かれた絵具、どんなキャンバスにどんな体に引っ付き、どんな風に発色しているか。
或いは、凸凹の紙に浅く乗った木炭、目の奥まで入り込んだ木炭、それらが織り成す様々なグレーのハーモニー、質感のバラエティー。
つまり、画材の、物質自体としての美しさ。
そして、その集積が何を表しているか、意味しているか。
絵では渾然一体となっているが、本来、前者(物質性、マチエール)と後者(意味性、モチーフ)には関わりが無い。
多くの抽象画は前者に特化していると言えるだろう。
前者がバイオリンの右手、後者が左手に当たるというわけだ。

このブログも『裸婦との声無き対話』と題しているが、これまで僕は、モチーフと僕の間に時折起こる化学反応だけを頼りに描いて来た。
結果、しばしばモチーフに圧倒され、意味性の奴隷となり、“僕が描いた、僕のものではない絵”という感触を覚えた。
或いは逆に、発火した感情をコントロール出来ず、色が色を塗り潰し、形が形を覆い隠し、混乱し、破綻し、化学反応の刻印に失敗した。
絵であるにも拘らず、目前のキャンバスにちょっと無頓着だった。

一歩立ち止まって、気持ち良く絵具を乗っけよう。
これが僕の乗せ方だ、僕の発声法だ。
一筆一筆、キャンバスとしっかり対話して。

上の自画像は“右手”を強く意識して描いた最初の作品。
現在京都市美術館で開催中の京展に出品しています。

京展2011
【会期】2011年6月14日(火)~6月30日(木)
【開館時間】午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
【休館日】毎月曜日
【会場】京都市美術館
【住所】京都市左京区岡崎円勝寺町124(岡崎公園内)
【交通案内URL】http://www.city.kyoto.jp/bunshi/kmma/information/access.html
【TEL】075-771-4107
【入場料】大人900円(800円)、高大生600円(500円)、小中生400円(300円)、( )内は20名以上の団体料金。京都市内在住の70歳以上の方(敬老乗車証等で確認)、障害者手帳提示の方、京都市内小中高生は無料。


Gidon Kremer-Bach,Ciaccona



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33になって、人生の折り返し点に居るのだなと感じる。
数字のことではない。

昨年、相次いで愛犬と祖父を失った。
当たり前だが、彼等は永久に僕の心の中で生き、しかし永久に僕の目の前に現れない。

あの頃、明日は必ず今日より多くのものが手に入ると思っていた。
勿論、そういう野心と言うか向上心を無くしたわけじゃない。
しかし明日、今日まで当然に在ると思っていた物凄く大事なものが、ふっと消えてしまうかもしれない。
そんな不安と言うか現実と隣り合わせに生きること、それが33歳ということだ。

あの頃、友人に「山本君って執着が無いよね」と言われた。
新しい環境に直ぐ馴染む方だから、今在る周囲に固執することがないという文脈だったと思う。
僕は自分の機動力を褒められたと、単純に喜ぶ二十代だった。
そして大切に育んでいたはずの愛や夢を簡単に放り捨てた。

未知の場所に歩を踏み入れるのを躊躇するようになったわけじゃない。
しかし、今踏み締めているこの足場、この日常も永遠なんかじゃない。
全ての日常は、非日常の、非日常的な奇跡の連続だと言えるかもしれない。
僕等は何故こんな大事なことを簡単に忘れるのだろう。

生きよう。
僕等を包む空気を、匂いを、音を、全てを、
貴方と居られるこの時を、
貴方を描けるこの時を、
この一瞬一瞬を抱き締めて。


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