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鬼束ちひろの初期の歌とか、モンドリアンの中期の絵とか、『パッチギ!』の頃の沢尻エリカとか、弾け切ってしまう前の、でも腹の中は沸々滾らせながら作ってるぐらいの作品が、鑑賞者としては一番響くことがある。
作り手の方はその辺りが一番悶々としてる訳だけど。そして遂に弾け切るべくやって行く訳だけど。

茨の海/鬼束ちひろ



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ゴールデンウィークは、左脇に姪っ子、右脇にチワワを抱え、村上春樹を読むというのんびりしたものであった。
話題の新刊、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
いつもながら、ファンタジックであり且つリアリティがある。
二つは相反しない。
どれだけ荒唐無稽な世界に在っても、(今作は現実世界が舞台だが、)登場人物は実在感を持って動く。
不自然な程に洒落た言葉が連なって、自然に現実の輪郭を形作る。
それは、村上さんが想像力を働かせながら、人間を、この世界を丁寧に観察するからだと思う。
だから物語が強い。
物語だけで持って行ってしまう。
何が言いたいのか分からないと評する人も居るが、何かのメッセージの為に物語が在るのではなく、キャラクター一人一人が活き活きと動き回り、結果、各々の背中が色々を語る。
その総体は結局、僕に強烈なメッセージを残す。
人は、意義ある何かの為に生きるのではなく、生きること自体が意味になるのだ。
(此処で、人物が動くに任せるという村上さんの制作手法がとても重要であろう。先がどうなるか自分でも分からないといったコメントがしばしば聞かれる。)

僕は彼の様に描きたいと思う。
どんなタッチにせよ、人生をこそ表す。
そもそも、人生自体が絵画の様なものだ。
白い毎日を、赤で青で或いは黒で塗る。
だから僕に作れるのは、真紅の月曜、紺碧の火曜、烏羽の水曜の絵だ。
眼前の画布に人生の画布を重ね合わせる。
そのように貴方を描き、庭の花を描き、花を照らす太陽を描く。

Life is a canvas.
そこに最高の絵を描いてやる。
そして最高の絵を描いてやる。

上は此間の個展で飾った父の肖像、『息子よ、絵で飯食うて行けんのか?』




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