パブロ・ピカソのことを考える。
それはワールドカップでスペインが活躍しているからでなく、キャンバスの前、彼の如く描きたいと思うからだ。
ピカソは排泄するように絵を描いた。
そこに上手く行くとか行かんの基準は無く、ただその日その時の痕跡を残すように描き散らしたように感じる。
岡本太郎が
著作の中で、「馬小屋のような雑なアトリエで雨でも洩ったのか、画面全体に泥がハネ上がったのをそのまま出品するのを見て、口惜しいと思った。自分なら土を拭き取ってしまう。」と語っていたが、誠実なる日本人として痛い共感をしてしまった。
徹底的な、徹底的な自己肯定。
ピカソの作品の一枚一枚が、
レンブラントや
ゴッホのそれのように心震わすのではない。
しかしそのあまりの快便振りは、スケッチブックのページ毎に一喜一憂する謙虚で矮小な僕を、そんな小さな山も谷も越えた向こう側へ蹴飛ばしてくれるのである。
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